就活の裏技
労働組合を結成して、Yさんが委員長になってくれて、一ヵ月で、約六00人の全社員が加入した。
僕は、オヤジに直接かけ合って、2日間ぐらい話をしたかな。
でも、こちらは、オヤジが普段からいってきたこと、オヤジから学んだことしかいってないわけだから、勝負は決まってるよね。
最終的にオヤジは、自分の家に集まった幹部陣を前にして、「社長を交代させることにした。
これからも頼む」つて、頭を下げてくれた。
でも,その安心もつかの間,三ヵ月後,頼みのオーナーが亡くなられた。
H心労ですね。
大株主である二代目が社長に復帰すると、私を含めた九人ほどは、即解雇でした。
他の幹部社員も、降格、減給、転勤の連続で、最終的に、一00人ほどのメンバーが解雇や自主退職に追いこまれました。
それで、そうした退職者の受け皿をつくらなければ大変なことになるということで、僕と、前の会社で役員をしていた三名、計四人で五00万円ずつ出し合って、Tを立ちあげました。
Yさんは、いったんは会社に残られた。
Y残ってはみたものの自分の居場所がありませんでした。
Hさんたちのように、本当に理念を持っていた仲間も次々といなくなってしまいましたからね。
人間不信というかその後の自分の人生を描く気力さえも失っていました。
仕事も異動になり、手取り約三七万円の給料は二0万円に、五0万円強のボーナスは七万円に激減しました。
「なんでこうなるんだろう」という受け身的な考えで、イジメに立ち向かう気力も起きず、「このままおとなしく定年まで過ごすしかないのか」なんて考えていました。
当時、Yさんは、四十代前半で、育ち盛りのお子さんがいて、住宅ローンも抱えていた。
Yええ。
だから、夜は、近所のゴルフ練習場でアルバイトをしていました。
十時から一時間ほど、トンボでボールを集めて、日当一000円ほどもらっていました。
でも、ある日、社長が打ちっぱなしに来たんですよ。
それで、「こんな姿を見られたくない」と思って身を潜めていたんですが、その姿があまりに惨めでね。
ストレスで声も出なくなり、「もう辞めよう」と決意しました。
とはいえ、まともに退職金が出るわけがない。
十九年間の勤務で二二0万円。
それも会社からの借金と相殺でなくなり、六00万円の住宅ローンがまるまる残るかたちになりました。
その後、地元の小さなメガネ店に再就職したんですが、人間不信から脱却することができず、お客さんとまともに話をすることさえできないし、店主が期待していた前職の顧客名簿もないということで、一年ももたずにクビになりました。
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